この日が来ました。
色々、思うところはあります。
震災翌日から、フィジーク(当時仙台市宮城野区)は、弊社社員の避難所へと変わりました。
幸いにも、電気と水道が早々復旧していたので、食料がない以外はなんとか過ごせる空間になっていました。
1週間以上、共同生活をし、同じ釜の飯を食い、毎日、津波被災した本社(多賀城)の復旧に往復しました。
今でも、あの日のことは鮮明に思い出せます。
フィジークがあってくれてよかった。
そこに沢山の救援物資も集まり、近所の皆さんと協力して過ごすことができました。
あの時は、またランニングができる日が来るなんて思いもしませんでした。
とにかく、今日生かされていることを、深く心に刻み、生きていこうと再確認する日であります。
一日一日大切に走ります。
一日一日大切に指導させていただきます。